量子コンピュータ事業の未来は?現状、支援体制、課題の考察
近年、様々な分野において急速にデジタル化が進んだことで、蓄積されるデータの総量が飛躍的に増加し、それに伴いコンピュータが処理する問題も複雑化している。
従来のコンピュータによる処理では何十年、何百年もの時間がかかる計算なども存在し、従来のコンピュータの限界が見え始めている。
こういった状況の中で、従来のコンピュータの限界を超える技術として注目を集め、活用が進められている最新技術が量子コンピュータだ。
2021年12月時点では、各国で量子コンピュータの技術を採用している/採用し始めている企業や団体の割合は下記の通りだ。
・アメリカ:36%
・カナダ/中国:32%
・フランス/ドイツ/イギリス/オーストラリア:20%代後半
・インド:16%
グラフ1の通り、日本においても24%、約4分の1の企業や団体が量子コンピュータの技術を取り入れている/取り入れ始めている。
2021年5月には日本の量子技術の発展を促し、国際競争力の強化をはかることを目的とした「量子技術による新産業創出協議会」(Q-STAR)が発足した。
また、政府も「量子技術イノベーション戦略」という名目で約352億円を量子技術に関連する研究開発や事業に投入することを発表した。
グラフ1:各国で量子コンピュータ技術を採用している、採用し始めている組織の割合
(参考:Statista, “Share of organizations in early or more advanced stages of adopting quantum computing worldwide as of December 2021, by country”)
量子コンピュータを活用において量子力学の専門知識を必要とすることや量子コンピュータに特化した人材の確保が困難であるといった課題はあるものの、将来性がある領域として大手IT企業の参入はもちろんのこと、量子コンピュータを活用した事業を展開するベンチャー企業がここ数年、世界各国で増加している。
このような大手IT企業やベンチャー企業の数は今後さらに増加すると予想されている。
本稿では初めに、量子コンピュータの現状を仕組み、実用例、そして日本と海外の比較を通じて説明する。
次に、量子コンピュータを用いた事業への支援体制を政府、大学、企業、それぞれの側面で提示する。
最後に、量子コンピュータを活用した事業を行う際の課題を知識面や人材面、そしてハードウェア開発とソフトウェア開発それぞれの側面にから解説する。
量子コンピュータの現状
この章では量子コンピュータを定義し、様々な観点からその存在を捉えることにする。
量子コンピュータとは
量子コンピュータとは量子力学の原理に基づいて計算を行うコンピュータのことを指す。
私たちが使う従来のコンピュータでは電流のOnとOffを用いて0と1のバイナリーコードを表現し、この2進法の情報に基づいて計算を行う。
一方、量子コンピュータでは超伝導、真空状態、光回路などの技術により0と1の値が重ねられた「量子ビット」を表現し、この重ね合わされた情報に基づいて計算を行う。
量子コンピュータを用いてできること
従来のコンピュータは8ビットを用いて0から255までのいずれかの数字を表現できたが、量子力学における情報の単位である「量子ビット」では8量子ビットを用いて0から255までの全ての数字(整数)を同時に表現できる。
この特性により多変数などの多くの情報を同時に表現できる量子コンピュータは計算のステップを減らすことができる。
そのため、従来のコンピュータと比較して速く計算が可能だ。
したがって量子コンピュータは、変数が多く絡まる複雑な問題、例えば原子内の各粒子の動きのモデリングなどを容易にする。
その他にも、機械学習、ビッグデータ、金融、軍事関係、医療薬の設計/発見などの領域の問題に対する計算速度を上げることに有効であることが分かっている。
量子コンピュータの現在までの変遷
1959年に物理学者のリチャードファインマンが量子力学の性質を用いた計算の可能性を提示し、1980年代になり、量子コンピュータが概念として提案された。
それから科学技術が進歩し、2011年にカナダのD-waveが初めて商用の量子コンピュータを発売、
その後多くの企業が量子コンピュータの開発を初め、2016年にはIBMが、クラウドを用いての量子コンピュータを公に利用可能にした。
2017年には東京大学の武田准教授(当時は助教)らが、当時としては画期的な光回路を用いた量子コンピュータの計算回路を考案した。
現在(2022年) 、扱える問題のサイズを大きくすることや計算の精度を高くするといったような課題を解決するべく各企業が研究を進めているが、現状では本格的にビジネスで応用する段階には至っていない。
日本と世界の比較
日本と世界の量子コンピュータ市場の平均年成長率と人々の関心度合いを比較する。
矢野経済研究所によると日本の量子コンピュータの市場規模(サービス提供事業者売上高ベース)は139億円(2021)から800億円(2026)に拡大すると予測されている。(2021年時点)
また、BCC Researchによると世界の量子コンピューティングの市場規模は、3億9070万ドル(2021)から16億ドル(2026)に拡大すると予測されている。
これらのデータから日本と世界の平均年成長率はそれぞれ41.9%、32.6%と計算され、日本における量子コンピュータ市場の成長率は世界水準であると考えられる。(グラフ5)
グラフ5:量子コンピュータ市場規模の平均年成長率 (縦軸は%)
(参考:「量子コンピュータ市場に関する調査を実施(2021)」矢野研究所, ” Quantum Computing: Technologies and Global markets to 2026 ”, BCC Research)
次に、人々の関心度合いを、Googleでの「量子コンピュータ」というキーワードの検索量で比較する。
今回は米国、英国、インドを引き合いに出し、これら3国について「quantum computer」「quantum computing」の二つのキーワードの検索量の合計を考える。
一方の日本に関しては「量子コンピューティング」の検索量が極端に少ないため割愛し、「量子コンピュータ」の検索量のみを考慮する。
グラフ6:各国のキーワード検索数比較
(参考:Google検索)
上のグラフの値に加えて日本の人口と米国やインドの人口を考えると、日本における検索数は相対的に多い。このことから、日本人で量子コンピュータに興味がある人の割合は相対的に多いと考えられる。
量子コンピュータ技術への支援体制(日本)
この章では、量子コンピュータ技術の事業化や人材育成に関したどのような支援が日本で受けられるかを政府、大学、企業のそれぞれの支援体制について解説する。
政府による支援
日本政府は「量子技術イノベーション戦略」という名目で量子コンピュータ技術の研究開発、産業化、事業化を促進することを2020年1月に策定した。
その戦略において令和2年度補正予算額と令和3年度予算額と合わせて約352億円を量子技術の発展に向けて投入することを発表した。
また、政府の量子科学技術委員会における議論の取りまとめでは、若手研究者に対して給付金を持続的に確保することで将来卓越した人材を生み出そうとするなど、資金面のみならず人材面での支援の姿勢も見られる。
大学による支援
研究機関である大学の取り組みとして、例えば東京大学では「量子ソフトウェア」寄附講座を開設し、学生向けのセミナーや社会人向け講座、シンポジウム等のイベントを企画するなど、量子コンピュータ技術を扱うことができる人材の輩出体制が整えられている。
(画像:https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=38914)
企業による支援
企業や個人に対して量子コンピュータの技術や量子コンピュータの教育を提供する企業も存在する
大阪大学の教授らが立ち上げたキュエル株式会社などがその一例だ。
キュエル株式会社は量子コンピュータとソフトウェア間のやりとりに必要な制御装置であるミドルウェアを開発・製造し必要とする企業に販売している。
・キュエル株式会社
(画像、企業のホームページ:https://quel-inc.com/)
個人向けの技術/知識面の支援として、カナダのXanaduは量子コンピュータのゲートなどを搭載したライブラリを用いたpythonの練習ガイドを無料で公開している。
・Xanadu
(画像、企業のホームページ:https://www.xanadu.ai/)
また、カナダのD-waveは新型コロナウィルス対応に伴う活動などでの使用を希望する企業/組織/個人に対し量子クラウドサービスであるLeap2を提供した。
このサービスにより、病院などでは医療用ベッドの配置や従業員の配置などの最適化が実現された。
・カナダのD-wave
(画像、企業のホームページ:https://www.dwavesys.com/)
さらに、世界全体でのVC(Venture Capital)による量子コンピュータを扱う企業への投資に関する以下のグラフを見てみると、その変化からもわかるように、投資の数こそ2021年は減っているが、投資額は年々増加している。
グラフ7:量子コンピュータ技術へのVCからの投資額(million USD)と投資数
(参考:” Investors bet on the technological unproven field of quantum computing,” PitchBook, 2021)
グラフ7より量子コンピュータに対するVCの期待が高まっていることが読み取れるが、この傾向はVCだけにとどまらない。
ガートナーは「先進テクノロジのハイプ・サイクル:2021年」において、量子機械学習 (ML)を黎明期に位置付けており、今後日本社会における発展を予測している。
量子コンピュータで事業を起こす際に直面する課題
この章では、実際に量子コンピュータの技術を用いて事業を起こす際にどのような問題に直面するかを知識/人材面、ハードウェア面、ソフトウェア面それぞれの観点から解説する。
知識/人材面の課題
量子コンピュータを取り扱う国内企業や海外企業の経営における上層部の経歴を見た時に、技術関連の主任はさることながら、CEOや研究員も修士号以上を皆が保持している。
さらに、物理やコンピュータサイエンスの博士号を保持している人も多く在籍している。
したがって、量子コンピュータで事業を起こす際には、ファウンダー自身の量子技術、量子力学に対する理解があることはさることながら、それらの分野に関して優れた経歴を持つ研究者やエンジニアを数人は集める必要があること考えられる。
ハードウェア開発の課題
量子コンピュータのハードウェア開発事業に関して、まず、海外の量子コンピュータを取り扱う企業に勝てるかどうか、という問題が生じる。
IBM、Google、Microsift、Xanadu、D-waveなどの海外企業が量子コンピュータのハードウェア開発を行っており、我々が自社で開発したハードウェアを普及させるためには彼らの技術水準に勝る技術、もしくは独自の技術開発を行う必要がある。
次に、ハードウェアの開発環境の問題がある。
現在量子ビットの表現方法として超伝導を用いる方法、イオントラップを用いる方法、光量子を用いる方法が考えられるが、それぞれ、-273℃以下に保つ、真空を作り出す、光回路を構築する、などの高度な環境構築が必要となる。
ソフトウェア開発の課題
量子コンピュータ技術を活用したソフトウェア開発の課題として、初めに、特別なエンジニアが必要になることが考えられる。
特別とは、線形代数の習得、量子力学に対する理解、量子情報論に関する理解があるということである。従来のWebサービス開発のエンジニアの知識/スキルだけでは対応できないのだ。
次に、セキュリティ面の課題がある。
現在、D-waveのように量子コンピュータのクラウドサービスを提供する会社が日本国外に存在し、それらのサービスを用いることで日本国内からでもソフトウェアのシミュレーションなどを実行できる。
しかし。国外のサービスに頼りすぎることで自国の重要な情報が国外に漏洩してしまう可能性が考えられる。
したがって、量子コンピュータ技術を活用したソフトウェア開発の際には自国で完結できる仕組みを考える必要がある。
本記事のまとめ
従来のコンピュータの限界を超えるとして期待されている量子コンピュータだが、事業化して成功するためには課題がまだまだ多いように見受けられる。
しかし、政府をはじめとして大学や企業も量子技術の発展に向けた様々な観点での支援体制を整えており、今後もその動向が注目され続けられる領域であることに変わりはなさそうだ。
量子コンピュータに関連する技術開発を続け、困難にも対応し続けられる企業は将来、国の技術を支える主要な企業として活躍することが予想される。
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▼問い合わせ先
https://open-ventures.fund/contact/
参考
1)「量子コンピュータの概説と動向」, 株式会社日本総合研究所先端記述ラボ, 2020.
2)「量子コンピュータ市場に関する調査を実施(2021)」, 矢野研究所
3)” Quantum Computing: Technologies and Global markets to 2026 ”, BCC Research
4)参考企業:IBM, Xanadu, Microsoft, D-wave, Google, Intel, Baidu
・IBM: https://www.ibm.com/topics/quantum-computing
・Xanadu: https://www.xanadu.ai/
・Microsoft: https://www.microsoft.com/ja-jp/
・D-wave: https://www.dwavesys.com/
・Google: https://about.google/
・Intel: https://www.intel.com/
・Baidu: https://ir.baidu.com/
5)量子技術関連予算pdf, 日本政府
6)東京大学「量子ソフトウェア」寄附講座の設置について, 株式会社日本総合研究所, 2021
7)「量子コンピュータ」西野哲郎, 情報処理学会, 1995
8)” Revenues from the artificial intelligence software market worldwide from 2018 to 2025 ”, Statista.
9)” Forcast size of quantum computing market worldwide in 2020 and 2027 ”, Statista.
10)” Blockchain technology market size worldwide from 2017 to 2027 ”, Statista.
11)” Metaverse market revenue worldwide from 2021 to 2030 ”, Statista.
12)” Investors bet on the technological unproven field of quantum computing”, PitchBook, 2021
13)“Share of organizations in early or more advanced stages of adopting quantum computing worldwide as of December 2021, by country”, Statista
14)「東大が万能動作可能な光量子プロセッサを開発、大規模量子コンピュータ実現に期待」, TECH+
15)「量子コンピュータの概説と動向 ~量子コンピューティング時代を見据えて~」, 日本総研
16)「日本における未来志向型インフラ・テクノロジのハイプ・サイクル:2021年」, ガートナージャパン株式会社